ほどほど庭の tayora koffie☕

子育て・仕事・趣味について ほどほど庭でお茶しながら話しませんか

人参をぶら下げられ続けた馬は・・・

社会の定期テストで頑張った成果が出た息子。
「頑張ったね。お祝いに社会に関する本、ちょっと高くても買ってあげるよ。」と言うと、目がキラキラならぬギラギラに。

社会に関する本っていうところが、わが家(わたし)らしいでしょ。



頑張ったあとのご褒美は、時々ですがあげてます。

本や文具など、なるべく実用的なものにしています。
ものではなくてどこかに行ったり、美味しいものを食べに行くということもあります。

期待してなかったご褒美は、嬉しいものですよね。




ご褒美を先にぶら下げるか、後から与えるかでは効果が違うと思っています。

ただ後からでも、毎回‥‥となれば、もうそれは先にぶら下げていることと何も変わりはありません。




昔の話になっちゃいますが、数年前に知ったこと。
聞いてもらえますか?



中学生で中の下くらいの成績のわたし。
そして、中学時代トップクラスの成績だった妹です。

わたしと妹はずっと仲良しじゃありませんでした。
このブログを読んでくださっているかたは、どうしてそんな風になっちゃったのか、なんとなくお分かりかもしれません。

妹が産まれてから淋しいという気持ちが積み重なり、「お姉ちゃんなんだから。」という言葉に縛られ、叱られて無視されているときの孤独感と妹の幸せそうな顔の対照さに撃沈しながら過ごしてきました。

妹は成績も運動神経も良く、テニス部で活躍。
英語を小さいころから習っていて得意。高校は推薦入学。そして大学(英文科)へ。

わたしには、妹に勝てるようなものは1つもなかった。
わたしには行かせるのは無理と言った大学へ、妹がなぜ行くことになったのか、その経緯も分からないまま。

お互い大人になりました。
わたしたち姉妹は、距離を保ちながら、お互いに干渉せず、興味も持たずに過ごします。








そして月日が流れて、お互いに子どもを授かりました。
息子と妹の子(甥っ子)は4つ違い。

とてもとても、小さく産まれた甥っ子。
心配した妹がわたしのことを頼ってくれて、育児の相談に乗ったりするようになってから、初めて姉妹らしい会話をするようになりました。


その中で、知った(わたしには)衝撃の事実です。

わたしは母の子育ての中で、唯一尊敬している部分がありました。
それは「勉強をしなさい。」と言わなかったことです。


自分が親になって、何も言わずに見守るということがどれだけ疲れることか‥‥については、以前も書きました。


母はテストの点数が良くても反応はなかったのですが、点数が悪くても何も言いませんでした。
良くても悪くても何も言われない。勉強しなくてもいいから家の中のことをしなさいと言われる。
高校なんて無理して行かなくてもいい。働けばいいと言う。
〝これは本気だ。少しは勉強しないと本当に働くことになる〟と怖くなりました。

そんな風に言うことで、自ら勉強するように仕向け、自分で何とかして生きていけるように育てられたのだと勝手に思っていました。





でも‥‥妹に対する母の子育ては、真逆だったことが判明したのです。

「100点取ったら、何か買ってあげる。」と言われて頑張っていたという妹。
〝へっ⁉そんなこと、一度も言われたことないんですけど〟


妹の部屋にいつしか置かれていたCDデッキ。
新しい自転車。
何でかな~‥‥と、ちょっとは思ったこともあったんです。


でもその頃、わたしはアルバイトをしていました。
自分の欲しいものは、お金を貯めれば自分で買えるようになっていたし、あまり家にいなかった。
だから母と妹がどんな会話をしていたのかも知りませんでした。


なるべく見ないようにしていた、というのが1番近いかもしれません。



妹は「お姉ちゃんは自由でいいなと思っていた。」
「お母さんが期待するし、圧を掛けるので頑張って勉強していた。」
「100点を取れば何か買ってもらえたけれど、そのうち買ってもらうことが目的で、何のために勉強しているのか分からなくなった。」
「大学に入ったら、今までいい点数取れていたのに、教科が増えて挫折した。」



それからの妹は荒れてました。それは覚えてます。



そして今は、大学で学んだこととは全く違うネイリストの仕事をしています。
子育てしながら資格を取りました。

最近も講師になるための前段階として必要な試験に挑み、合格しています。
相変わらず勉強家の妹です✨


わたしは時々ネイルしてもらってます♡


この間も「もう秋だからサンダル履かないし、もったいないからいいよ。」と言ったのですが「誰に見せる訳でなくても、足元が綺麗だと気持ちがアップするから。」と言われて、その言葉に甘えてお願いしました。

f:id:tayorako:20171028002324j:plain:w200



ネイルしながら、色々な話をします。

「人参のために、がむしゃらに勉強していたら、疲れちゃった。」
「大学に入って、色々な人と出会って、今までかけていたブレーキが緩んだとたんに、プチンって何かが切れる音がした。」
「もっと冷静に、自分の将来を考えていたら大学なんて行かないで、美容系の専門学校に行っていた。その頃から綺麗とか可愛いとか大好きだったから。」と。



『もので子どもを釣ってはいけない』ことは知っていましたが、こんなに近くにダメな見本があったとは。




そんな会話を、いとこ(甥っ子)の遊び相手をしていた息子は聞き耳を立てて聞いていました。
「なんか、お母さんかわいそう。」と息子。

「子育ての方針なのかと思っていたけど、単に期待されていなかっただけなんだね‥‥。」

「人参ぶら下げられるのも嫌だけど、期待されないのも淋しいね‥‥。」




妹も色々あったのだな‥‥。大変だったのだな‥‥と思うと同時にショックでした。
今考えれば、(わたしのテストの)点数が良いときくらいは褒めても効果は(さほど)変わらないのですよ。

妹の点数との差が大きすぎて、わたしのちょっと良い点数など、褒めるに値もしなかったのでしょう。




「姉妹それぞれに合った接し方をしていたのでは?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、母は良く言えば天然。逆に言えば、思いのまま動いたり口にするタイプなのです。
わたしの中で、母を信じたい思いが、そう理解しようとしていただけかもしれません。

だけど、妹とは雪解けです⛄




もう過ぎちゃったことだから、いいです。
そんな話をしながら、妹と「お互い、大変だったんだね。」と笑い合えた。


わたしも妹も、息子たちに人参はぶら下げないと思います。

特別なものを与えなくても、息子の食べたいものに夕食にして「頑張ったね」と乾杯するだけでも十分です。
そしてほんの時々、自分の目標に向かって走り終わった息子に〝美味しい人参〟をあげようと思います。




 勉強だけでなく小さいころの子育てにも通じるものがある
 と思っています。病院で、買い物中、園に迎えに来た時な
 どに「ジュースを買ってあげるから。」で泣くわが子をな
 だめようとする方、けっこう見かけませんか。

 もので釣ってその場をしのいでも、その先につながるも
 のはありません。小さいからではなく。小さいからこそ
 泣いても通じないこと。我慢することを親が教えずに、
 誰が教えるのでしょうか。
 こちらの言葉を理解できるようになってきたら、なぜ
 その思いを受け入れられないのかを、分かるように
 説明してあげて下さい(最初は理解出来なくても)。
 ジュースで泣き止むのではなく、その時は泣いてしまっ
 ても、泣き止んだときに「がまん出来たね。偉かったね
 。」と抱きしめてあげてください。泣き止んでからの
 ジュースは、泣きながらよりきっと美味しいはず。