たよらこそだて

幼稚園教諭と保育士経験をそれぞれ10年以上。自閉症児やダウン症児の加配、息子の子育てから学んだあれこれを書きます。

保育や教育を愛で変えていくのか。システムで変えていくのか。

自己認知が深まった今年の夏。

進みたくない方向と

目指したい方向がはっきり見えて

自分の手が伸ばせる範囲で、優しい世界を創りだしていこうと考えていた矢先、職場の園の方針が変わりました。

 

今までの保育

通常の保育とほぼ同じですが、1:4(1歳児)、1:6(2歳児)の担当制だった時期もありました。

基本はみんなで遊ぶ、食べる、寝るのリズム。

保育士は一人一人と関わりながら、共に過ごします。

 

これからの保育

1:1を大切にするために、外遊びへは1:2(1歳児)、1:3(2歳児)で順番に行き、他の子は部屋の中で遊びます。順番なので外遊びの時間は短いです。

長さよりも深く触れ合うことを大切にするそうです。

食事も同じように少人数で食べるため、待つ子も出ます。

人員が増えるわけではないので、1:2や1:3をしている間、その他の職員でたくさんの子どもを見守ります。

部屋の中での遊びは知育玩具に絞られていて、保育士は指定の場所で静かに子どもと向き合います。子どもが走り回らないように玩具を使って「楽しい、できた」と思える言葉をかけます。大きな声、みんなでの手遊び、集団での絵本などは不要だそうです。

 

この保育の意図するところ

  • 自己肯定感を育てるために、励まされる経験の積み重ねをする
  • 自分の興味に合わせた玩具を選び、楽しみ、達成することで自己選択・自己決定力が育まれる

保育プロデューサーのかたの研修を受けました。

聞いているうちに心がザワザワし出して仕方がなかった。

なんだろう…この違和感。

自己肯定感を高める・自己選択・自己決定…到着したい場所は同じはずなのに、こんなにも向かう手段が違うんだ…。

自己選択と言いながら、その幅は大人が決めていてとても狭いと感じました。

一日走り回っていたい子どももいるし、部屋で遊ぶことが好きな子もいる。

歌を一緒に楽しく歌いたいし、手遊びだってしたい。

わたしも子どもたちも制限され、システム化されるんだ…。

「保育の完全システム化、ということですね」

研修終わりに感想を求められたとき、自分が感じたことをそのまま口に出してしまいました。

その場の空気が凍りました。


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どちらも間違いではない

校則や社会に対して大きな不満を抱えている息子(希生)。

どんなふうに変えたいのか、それはどんなふうに変えていけるのか…ということをよく話します。

先日の台風のときに部活動を行っていた部があったそう。

学校としては登校禁止にしているのに、そのルールをはねのけて自分流を押し通す顧問がいる。それに憤りを覚えているみたい(←帰宅部です)。

「一人一人の意識を変えるなんて限界があると僕は思う。誰かが命を落とさない限り変わらないんだ。だからルールを無視した教師に罰を与えるなど、新しいルールを作ることが必要だと思っている。僕はシステムで人が自由に生きやすい社会に変えたい。お母さんはどうやって変えていきたい?」

そう聞かれて

「足元からじわじわと変えたい。一人一人に向き合いたい」

と答えると

「果てしないな~!でも、根本的に変えるならそのほうが効果的だよね。僕には向いてないけど」

うん、そうかも(笑)

どちらも間違いではないんだよね。

園が取り入れようとしている保育も、間違えではない。

わたしが選択したくないだけなのだ。

 

自分の変化を感じる 

以前のわたしなら、研修後の感想を求められたとき、いいことを言おうとしたと思います。

自分が感じたことよりも、その発言をしてどう思われるかを気にしていたから。

その場の空気を凍らせてしまったことは反省点であるけれど、自分の気持ちに正直でいられたことに驚きと喜びを感じています。

今の園で過ごす時間を「嫌だけど仕方がないのでいる」ではなく「その保育で得られるものをひとつでも多く見つける」と捉え、選択してこの場にいるいう意識をもって年度末まで過ごそうと思っています。←今、やっとここまで向き合えたところ

 

適合から創造へ、一歩ずつ変わっていく自分を感じることができた出来事だったのだなぁ…

と記事にしたことで気持ちが整理されました。

 

最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。