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わたしの宿題 ~悩む意味もまだわからないけど、悩む価値はあるものなのだ、きっと~

最近の母との距離

少し前の記事で『相手を変えたいのなら、自分の行動や言葉を変える』なんて書いたけれど、母へは気持ちを残しつつ半ば諦めています。

今は一緒に暮らしていないとはいえ、そういう相手が身近にいるって悲しい。

 

努力したとしても、変わらない相手もいる。

向き合おうとした自分を褒めてあげよう。

そう自分に言い聞かせるけれど、納得していない自分もいて苦しい。

また母からのスルーが始まっていて、理由が分からない。

最近会っていないから、機嫌を損ねることもしていないはずなんだけど。

10日ほど前に送ったメールは「お歳暮何がいいですか?」という内容。

返信がない。

父にメールすると「メールはしないと言っていた」そう。

理由を聞くのはやめた。

理由を聞いても聞かなくても、モヤモヤも胃の痛みも変わらない。

 

母にもわたしにも命に限りがある。

今どちらかの命が終わったなら、後悔するのかな。

いや、母は後悔しない気がする…(苦笑)

母娘に生まれたことに意味はあるのだろうか。

 

 ある日出会った本

そんなことをぐちゃぐちゃ考えていたとき、ある記事で紹介されていたこの本のタイトルを目にしました。

『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』 

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わたしの子育ては

わたしがしてほしかった、寄り添う母になる

という思いがベースになっています。

筆者と思いが似てるのかな……なんて思いながら

 

一気に読みました。

 

筆者の幡野広志さんは35歳のカメラマン。

多発性骨髄腫というガンに侵され、余命3年の宣告を受けています。

息子さんは2歳です。

 

本に託されている、息子さんへの思いは深くて切ない。

自分がもしも余命3年を宣告されたなら…

想像しただけで絶望的な気持ちになります。

幡野さんも自殺を考えた時期があったそう。

「狩猟中の事故を装って猟銃で命を絶てば、3000万円くらいは保険金が入るよな」などと皮算用をした。

やがてガンという事実が静かに自分のなかに染み込んできたとき、「残したいのはお金じゃないな」と思った。

…………中略…………

そこで僕は、息子に宛てて手紙を書こうと思った。僕が息子に残したいのは、言葉だと感じたから。

なかなか出来る切りかえではありません。

 

わたしも息子に残せるのは、愛された記憶と言葉と生きていく力だと思っています。

息子さんへ向けた、生きていく力を育むためのメッセージが溢れていました。

・小さなところで選ぶ練習ができていない子どもは、怖ろしくて自分で判断できない→失敗させる優しさについて

学校に望むものは年齢相応のことを経験出来ることと理不尽さの免疫をつけることだけ

理不尽さをじゅうぶん味わった息子が「学校に行きたくない」と言い出してもかまわない。「好きなところに行けばいいよ」「学校のかわりにどこに行きたい?」と言うつもりだ

・嫌な人から逃げる一番の方法は、自分に自信をもつことだと思う

・大きな成功より小さな成功をたくさん積み重ねる。それをほめられたほうが、自信につながる

などなど…

共感したり、なるほどと思ったり、驚いたり。

命が続くわけではないということを心のどこかに抱えて子育てをしたら、怒らなくていいところでは踏ん張れるかもしれない。

子ども自身の長所や伸びたところを見つけて褒めてあげられるのかも…と感じました。

 

これから子育てするかたや、子育てに煮詰まっているかたにはヒントになるかもしれません。

 


 

最近出会った命に関する記事 

山猫(id:keystoneforest)さんが、記事の中でお父様を亡くされたときのことを思い出して書かれた描写が温かくて、優しくてじわ~んとしました。

きっと素敵なお父様だったのだな、そして素敵なご家族なんだということが伝わってきて、羨ましく思いました。

そのとき、父の命はどこにいったのでしょう。父の身体の中から抜け出たのでしょうか。

身体から抜けてふわりと病室を漂い、窓から外に出て、空高く舞い上がっていったのでしょうか。

それとも、炎が燃え尽きるように、ぷつりと消えてなくなってしまったのでしょうか。

きっとそのどちらでもない、と今わたしは思います。

…………中略…………

身体はそれぞれ別にあっても、息や温もりや声や思いを通して命は繋がっていたはずです。

ふむ…

命はどこに行くのか。

みなさんは考えたことがありますか?

 

わたしは山猫さんに、こんなメッセージを送りました。

小1の時にはじめてお葬式に参加して、人が死んだらどうなるのか分からずたくさん泣いたことを思い出します。

その答えはまだ見つかっていません。

自分が死んだとき、答えに気づくのかな。

気づくことなく消えるのかしら…

何度かのやり取りの中でも、命の行方について答えは出せませんでした。

答えがそんなに簡単ではないことを、わたしも山猫さんも知っています。

 

 幡野さんの本からも生と死について考える

幡野さんは、息子さんに伝えたいこと、学んでほしいこと、教えておきたいことを書いたあと、生と死についても書いています。  

生とは何か。死とは何か。

生きることも死ぬことも、よく分からないから、知りたかった。 

写真家ととも狩猟をライフワークにしてきた幡野さん。

ガンになったとSNSで公表したら、自業自得だという書き込みがあった。

僕が狩猟で動物を殺し、その肉を食べた報いでガンになったというのだ。

狩猟をしてもしなくても、僕たちの命は、動物の命の上に成り立っている。

狩猟は趣味として楽しいものではなく、苦労して手に入れた肉はおいしくない。

狩猟で僕が得たものは、生と死についての思考と、作品だった。

自分や家族の死は重くても、毎日命と関わりながら、その恩恵で生きているということは忘れがちになります。

日々の豊かさに負けて「いただきます」や「ごちそうさま」の意味を考えることや感謝を込めることを忘れていたかもしれない。

 

わたしが生きるために絶たれたたくさんの命は、わたしの中にある。

人の命も、どこかに残るのかな。

わたしの身近な人の葬儀の後に残ったものは、人の欲や妬みによる争いが多かったな。

 

わたしの残すものはドロドロしたものではなく、山猫さんのお父様が残したようなあたたかいものであるように生きたい。

僕は「ガンで死ぬ」とあきらめたわけではない。

僕はガンで死ぬことを、理解して受け入れた。

ちょっと早すぎる気はするけれど、死を目の前にしても幸せでいられる。

分からないことを知るのが好きだから、死ぬのは楽しみでもある。

涙があふれました。

命の期限が見えたとき、わたしはそんなふうに思えるだろうか。

そして、治療よりもやりたいこと優先させる夫を静かに見守っている幡野さんの奥様のようになれるだろうか。

この本を読めて、この思いを感じることが出来て良かった。

 

さいごに

なぜ悩み、胃が痛くなる思いを抱えて生きるのか…。

人生を生きる意味もまだわからないけど、生きる価値はあるものだと感じている。

という幡野さんの言葉を借りれば

悩む意味もまだわからないけど、悩む価値はあるものなのだ、きっと

答えが見つからないから生きているんだ。

母とのことも神さまがくれた、わたしへの宿題なのだ。

 

 

 

 

 追記

ここまで書いて下書きにしていたら、幡野さんへ送った質問箱の返信が来ていた。

 

 

 

降り積もっていた肩の重荷を振り落としてくれるこんな言葉を、待っていたのかもしれません。

 

幡野さん、山猫さん、素敵なメッセージをありがとうございました。

                                                                  たよらこ