たよらこそだて

幼稚園教諭と保育士経験をそれぞれ10年以上。自閉症児やダウン症児の加配、息子の子育てから学んだあれこれを書きます。

【平成から令和へ】発達障害についての理解は始まったばかり

新しい年号「令和」まで一週間を切りましたね。

ブログで平成の振り返り記事も見かけます。昨日、仕事帰りに聴いていたラジオで「令和になる前に髪を切るか切らないか」という話題をしていました。

つい先日髪は切ったけれど、令和を意識したわけではありません(笑)

年号が変わる実感はないので、変わってしばらく経ってから実感が湧くのかもしれません。

 
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昭和から平成の変化

わたしが受け持ってきた子は全員平成生まれ。昭和生まれのわたしにとってプチショックでした。

この数十年で情報技術が急激に進歩して、私たちの生活を変えました。

自分がこんなふうにパソコンやスマホを使って記事を書くなんて、想像もしませんでした。

あの頃は園だよりもクラスだよりも全て手書きでした。懐かしい。

緊急連絡網も手書き!今は一斉メール配信ですよね。電話番号を一覧にして配布することもなくなりました。世の中が便利になると同時に、信用出来ないことが増えました。

 

設備の変化

わたしが勤務していた幼稚園は、和式トイレでした。数年後洋式がひとつ設置されました。今はほぼ洋式トイレですよね。慣れていないから和式トイレが苦手な子も多いです。仕方ありません。

勤めていた園は園庭&駐車場から道路まで解放されていて、仕切りやフェンスがありませんでした。今考えると、安全的にも防犯的にも恐ろしいですが、わたしがいたときに事件や事故は一度もありませんでした。

わたしが辞めてから数年後、フェンスが出来ていました。 

遊具も現在より危険なものも多かったけれど、大きな事故はなかったです。今は責任問題が大きくなるので、危険の少ない遊具が増えた気がします。知人から聞いたら外遊びをほとんどしない園もあって、そこまで安全を優先させるの?と驚きました。

 

保育士・幼稚園教諭の服装

少し前にツイートで見かけたのですが、今はエプロンをつける園は少なくなってきているのかしら。わたしが勤めている園もエプロンはしません。

今まで勤めた園の服装をまとめると…

  • A幼稚園…ジャージにエプロン
  • B保育園…ジャージに園専用エプロン&割烹着(冬)
  • C保育園・D保育園…ジャージにエプロン
  • 現在の園…キュロットにシャツまたはカットソーやTシャツ(キャラクター物はNG)

A幼稚園の時には仕事への往復もそのままの服装でした。

B保育園では出勤・退勤時のジャージが禁止でした。最初は慣れずに面倒くさく感じました。でも不思議なものです。ジャージで帰ることを辞めてしばらくすると、それまで何とも感じていなかったジャージにエプロン姿で買い物している人へ違和感を覚えるように。「わたしは保育士です」って看板を下げているような…。

C・D保育園は同じ系列の保育園です。A幼稚園と同じで、往復もジャージの先生が多かった。わたしはB保育園で着替えることが習慣になったので、なるべく着替えて帰りました。

その頃着ていたエプロンたちです。

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上下ピンクを着ていた頃もありました。

昔は保育士=ピンクみたいな感覚がありませんでしたか?

 

現在の園は特殊でした。

出勤・退勤時は私服…だけでなく「綺麗な服装で」と言われました。わたしはスカートにカットソー、カーディガンといった服装にしていますが、常勤の先生方はスーツやワンピースです。

勤務中はキュロットにハイソックス⁉年齢的に勘弁…と思い、七分丈のパンツを履いていましたが、一人だけ違う服装でプカプカ浮いているように感じたのでキュロットを何着か買いました。キュロットがなかなか売っていなかった~💦

6年目に入っているので、キュロットへの違和感も膝のスースー感にも慣れました。

保育士や幼稚園教諭という仕事が甘く見られるのは、ひとりひとりの意識が足りないことも理由では

と、誰に見られても恥ずかしくない服装をしていきましょうという考えです。

出来るだけ綺麗で可愛い服装でとも言われましたが、若い先生と同じものは無理なので、そこはスルーでシンプル&落ち着いたトーンの物を選んで着ています。

この20年間の服装の変化はこんな感じです。

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   ↓

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この変化大きくないですか?キュロットでなくてもパンツでもいいと思うのですがね💦

ジャージがダメな訳ではないけれど、保育士のイメージが変わる気がしませんか?

 

先生と保護者の関係の変化

古い人間みたいで書くのを少しためらいますが、20年前は「先生ありがとう」と数えきれないほど言われて恐縮するほどでした。

最近は「ありがとう」と言われることは減りました。

もちろん、ありがとうと言ってもらうために保育をしている訳ではありません。

これに関しては保育業界だけではないのでしょうね…。

買い物をしてレジでお金を払う時に、会話しますか?自分自身を振り返ってみても、会話しないまま終わることも結構あるかも。おつりをもらう時には会釈をしたり、目を合わせたりして笑顔を心掛けています。

人と人なのに、機械と対面しているのと同じになっちゃう。時代の変化を悲しんでいないで、わたしも感謝の気持ちを忘れずに、嬉しいと感じた時には伝えていこうと改めて思いました。

登園や降園にパパが来ることが増えました。男性の子育て参加にはまだ足りない部分もあるみたいですが、かなり変わってきていると感じます。夫が保育園に迎えに行ったことは一度もありません。役割分担出来ているご夫婦を見ると羨ましいなぁと思います。

 

発達障害への理解

わたしが最初に卒園まで受け持ったクラスに、2人ほど気になる子がいました。

その頃も発達障害という言葉はあったし、勉強もして卒業したのですが、実践として学んだことはありませんでした。

気になる子の一人は男の子でこうくん(仮名)。年長児で数字の練習をしていた時には1を書く時に、ノートの上から下までずーっと線を引っ張っていました。

毎回「ストップ」と声を掛けていました。今振り返ればどんな対応していたのだ…と恥ずかしいです。1という数字を書くことを教える前に、こうくんにとって必要な学びがあったろうし、皆と同じことをする必要はなかったと思います。

もう一人はりかちゃん(仮名)。途中でお父さんが他の子との差に気付いて、病院へ行きました。「うちの(りかちゃんのお母さん)もちょっと普通と違うみたいで、子育て中言葉を掛けていなかったみたいです」と話されていました。

ちょっと違う

「発達障害」ではなく「ちょっと違う」

あの頃は、そんな言いかたでした。

りかちゃんにも、励ましながらもみんなと同じことを強要していたと思います。

少しずつ出来ていくタイプの子でしたが、もっと別の方法があったと思う。

その頃は30人超えの人数を補助なしで一人担任が当たり前でした。

その子への対応が出来なかった…というのは完全な言い訳で、理解さえしていなかった。

りかちゃんからは、今も年賀状が届きます。ネットスーパーで働いているみたい。近況を伝えてくれることが嬉しいです。ダメな先生だったのに…いつか会ったら「ごめんね」と言いたい。

 

D保育園に勤務時代に受けた研修で、講師の先生が「ようやく保育園の先生たちが発達障害を理解しようとし始めている。でも幼稚園の先生たちにとっての意識は低い。それは幼稚園ではちょっとおかしいと思うと入園で落とすので入れる子が少ないから。落とされた子の受け皿が保育園になっている。そして保育園は学ぶことよりも生活を重視している。だから他の子との違いに気付くのが早い」とおっしゃっていました(その時の研修メモより)。

発達障害者支援法が施行されたのが14年前の2005年

わたしが自閉症児Fくんの加配をしたのが、11年前の2008年です

保育・幼児教育の現場に発達障害への知識や理解が深まったのは、本当に浅いと分かります。数センチですよ。

 

令和の時代の保育

この10年で保育園だけでなく幼稚園にも理解の輪は広がり、研修も増えました。

支援の必要な子が一気に増加したように感じるのは、今までは蓋をされていた部分がオープンになったから、と言われています。

令和の時代は、発達障害を含めて色々な特性を持つ子への理解が進み、選択肢が増えていくと良いですね。

「特殊学級」が「特別支援学級」へ変わったけれど、特別という言葉には、まだ壁を感じませんか。

支援が必要な子も集団に入ることが苦手な子も、自分らしく生きられる方法や場所があり、それを皆が特別に思わなくなったら素敵。

そのためにはまず、発達障害や特性について知ることが必要です。他人事だと思わずに。

わたしの出来ることは小さなことですが、日々の保育の中で感じたことを拾いながら、「こんなタイプの子には、こんなふうに接すると成長を促すことが出来ます」と伝えていくことかなと思っています。

 

令和の時代の保育・幼児教育が、保育士だけでなく、保護者ともお互いの信頼で結ばれ、社会の中に理解の輪を広げる素敵なものになっていきますように。

 

 

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