たよらこそだて

幼稚園教諭と保育士経験をそれぞれ10年以上。自閉症児やダウン症児の加配、息子の子育てから学んだあれこれを書きます。

子育ては、自分をどこまで掘り下げられるかに挑戦する旅

息子との衝突 

その日、わたしは幼稚園教諭研修で夕方6時近くに帰宅しました。

慣れない座学でクタクタ。

そろそろ夕飯作り始めなくちゃ…と思うけれど、体が言うことをきかない💦

希生けい(息子)が「何時ごろ夕飯?」と聞きました。「分からない。今動けない」と答えました。

そのやりとりを何度か繰り返すうちに、お互いにイライラしてきました。

希生はお腹がすいたことへのイライラ。

わたしは疲れているのに、夕飯作りへ追い立てられていることへのイライラ。

 

頭の中では「そろそろ作ろう」と思っているのに、イライラの弾みで「夕飯を作らなくてはいけない義務はないんだから、動けるまで待つか、自分で勝手に食べるかどちらかにして」と言いました。

すかさず希生は「民法877条に扶養義務者に関することが書いてあって…」と法律をもち出してきました。

「は?たかが1食くらい作らなくたって、法律で裁くことなんて出来ないでしょう!」

毎日脂質を抑えたご飯を作っているのに…と、腸が煮えくり返る気持ちに。

火に油は注がれて、感情のぶつけ合いが30分くらい続きました。

 

お互いに一歩も引かない似た者同士。

なんでこんなに頭がかたいのだ。

誰が育て方間違えたのか。わたしか!

誰に似ているんだ。わたしか💦

どうしてこんなにルールや法律を振り回すのだ。 

そんなことを考えていたら、ハッとしました。

 

 
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家庭内を潤滑にしたいからたくさんのルールを作った

ガミガミ怒る母親像が嫌でした。

自分はそうなりたくない。

小言を言わなくてすむように、色々な場面でルールを決めました。

小さい頃はわたしが決めていて、それに希生が従う。大きくなると、ルールを一緒に考えました。

お小遣いのポイント制についても、スマホを与えるときにも一緒に考えました。

ルールに沿って生きるということを教えたのはわたしだ!

 

息子の思いに気づく

「そんなふうにルールや権利や法律って主張するのは、お母さんのせいかもね」

希生は「そうだ!」と言ってから、それまでのわたしのトーンと違うことに気づきました。

「お母さんが細かいルールを決めてきたの、嫌なときもあったよね…」

そう言って背中をさすると、歯を食いしばるように「違う」と言いました。

「本当のこと言ってもいいよ」

「お母さんのルールは時々変わる。状況に応じて…とかそれが嫌だった。だから何にも揺るがない法律を知りたいって思った」

衝撃!

そうなんだ(´;ω;`)…←という自分の感情をキャッチしつつ、

「揺れない真っすぐな指針が欲しかったんだね」

と受け止める。イタイ、とても。

希生の思いを受け止めながら「わたしは希生のためとか言いながら、自分が楽をしたいからルールに頼ってきたんだ」と気づきました。

そしてそれはもっと奥へ潜ると、その時の感情で怒られ無視をされ、おこづかいを取り上げられた小さい頃の自分の痛みにつながっていました。

希生の思いに耳を傾けて受容し、最後に「気づけなくてごめん」と言うと、希生は声を震わせて「うん」と言い「間違いとか失敗とかない。それがあるから、今の僕があるんだ」と言いました。

そうだねぇ(;ω;)

 

気づいたときに思いを受け入れる勇気

自分が感じてきた寂しさや悔しさを繰り返したくない。

どうしたら、家族が笑顔でいられるのかを考えた。

でも、一生懸命に出した答えだったとしても、それが正しいとは限らない。

そう考えたとき、母のことがよぎりました。

きっと同じなのだろう。 

 

聡子先生の

「ないものばかり見ないで、あるものを見よう」

という言葉を思い出しました。

希生の気持ちを受け止められた自分を認めてあげよう。

 

衝突、受容、その後

その後「お腹すいちゃったね。さて、ご飯作るぞ」と言うと「手伝おうか」と希生が言い、一緒に夕飯を作りました。

2人で作ったらあっという間に出来上がって、美味しかった。

「たまになら作ってもいい。でも、間際ではなく早めに言ってほしい」と希生が言いました。

「ありがとう」を伝え、早めに言ってほしいという願いを受けとりました。

 

数日前にわたしが体調不良で動けなくなった日、ヨシケイのセットを使って夕飯を作ってくれました。

ご飯は炊いてくれることも多々ありますが、おかずを作ることはありませんでした。『キットで楽』という簡単に出来るものだったのですが、四苦八苦していました。小さな唸り声とか上手くいかない苛立ちの声とかたくさん聞こえてきた(笑)

帰宅した夫が「これ一人で作ったの?すごいな」と言い、希生が「15分で作れるコースなのに40分もかかった。ひどいもんだ」と笑っていました。

出来上がったみそ汁は薄くて、食べた夫いわく「みそ汁っぽい」味だったようですが美味しいと言いながら食べていました。

横になりながら、その光景を聞いていたわたしは泣いていました。

二人はわたしの具合が相当悪いのだと心配して、あれやこれやと動き回っていました。

大切に育ててきた場所が安全でお互いに支え合っていることを感じ、嬉しくて涙が溢れていました。

 

子育ては、自分をどこまで掘り下げられるかに挑戦する旅 

先月みんみんさんのお話し会に参加したときに聞き、心に残った言葉です。

「子育ては、自分をどこまで掘り下げられるかに挑戦する旅」

子どもにイライラしているとき、イライラの本質は自分の中にあったりする。

その本質を見ないふりせず探求できるか。

子育て卒業までもう少しだけれど、一緒に過ごせる時間を大切にしながら探したいと思っています。

 

「受容できないときは、あえて本音でぶつかることも時には必要なのかな。そうして初めて気づくこともあるのかな」

というマドさんからのコメント。

確かに今回もぶつかって初めて気づけたことかもしれません。

最後まで感情のぶつけ合いで終わってしまったら、どうだったかな。

怒りの炎にくるまれて、お互いに残るのは灰だったかも。

ぶつけ合いではなく、奥に眠る自分の願いに気づいてそれを伝えられたらいいと思うのですが、自分に余裕がないときにそれを感じたり伝えたりすることって難しい。

ぶつかってもいいと思う。

ぶつかり合いの中から何かが見つかるといいな、と思います。

 

 

 

☆読んで頂き、どうもありがとうございました☆